「無かった菩提樹」/ インド・ブッダガヤ②
1975年 3月4日~10日
ブッダガヤにて宿泊
ブッダガヤは小さな村だが仏教の聖地。幾つもの仏教の国の独特の様式のお寺がある。仏教のことを僕はよく知らないけれど、菩提樹の下で釈迦が悟りを開いたとされている。でも、釈迦が断食して悟ったのは村外れの岩山の中腹にある洞窟で、そこに菩提樹はなかった。
道端に露店の土産物屋が並んでいた。「ビンボウヒマナシ」、「ジュズヤスイヨ」、「オボウサン、ジギジギスキダネー!」と、店の子どもたちが変な日本語で声をかけてくる。「ジギジギ」とは卑猥な言葉で売春を指す。日本にもいろんな仏像があるけれど、ここにも金の仏像。釈迦は仏像を作るなって言ってなかったかな?ここに働く人たちはみんな痩せているが、金持ちと仏像は太っている。「ニッポンのオボウサンもね!」と店先の子どもたちは笑う。
大正時代の日本画家村上華岳作「太子樹下禅那」には菩提樹の葉がアルミの粉の絵具で幻想的に描かれている。華岳の作品には未完に見える絵が多くある。彼の最高傑作の一つ「太子樹下禅那」もそうだ。多くの人を魅了する神秘的なこの作品に描かれた菩提樹が、ブッダガヤにあると思いやってきた。僕は、その菩提樹を写生したかった。
大都市のカルカッタと異なり、この村では、路上生活者や難民の人を見ることがない。牧歌的で穏やかに一週間が過ぎた。ドゥンガシリー岩山、スジャータ遺跡、ネーランジャガー川、マンゴ樹林バルなどを観てまわった。王家の末裔というガヤに住む大地主以外、農民や他の様々な村民は土壁とかやぶきの屋根の小さな家に暮らしていた。家の中は狭く仕切りがなく、鍋くらいしかない。外で薪を使い炊事をする。「埴生の宿」を思い出したが、歌う気になれなかった。自然の風景は日本と異なり感動的だけれど、この村の人たちの生活があまりにも貧しく、殺伐としているように感じたから。



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