「汽車と馬車を乗り継いで」/ インド・ブッダガヤ ①

 

1975年 3月4日~10日

カルカッタ /出発 →ガヤ /経由 →ブッダガヤ

◇◇◇

 汽車の旅が始まる。日本でほとんど見られなくなった蒸気機関車がインドでは主流で、しかも、でかくてカッコいい。たくさんの人を乗せて長距離を走るから、客車のサイズも長く、連結されている車両の数量も桁違いだ。駅の中は人でいっぱいだ。客車の乗車口も人で溢れ、入れそうもない。窓からリュックサックを押し込み、次に頭を入れる。胸まで入れば何とかなる。床も荷物棚も人と荷物で埋まっている。と書くと、終戦直後の東京を想像する人がいるかも知れないが、夜行列車で行く登山ではよくあった。大学の山岳部で登山に行く時の夜行列車では、通路に新聞紙を敷いて寝た。スペースさえあれば荷物棚はベッドになった。だから僕はヘッチャラだ。ヘッチャラはインド語っぽい?

カルカッタでは3日間ショック状態だった。深く考える余裕がなく、息をすることさえ辛かった。ぎゅうぎゅう詰めだが、汽車の中は違った。生きるエネルギーが漲っている。目に映るシーンも臭いも騒音も受け止め方しだいか?人々の混雑が回復力になるなんて、もしかしたら、戦後の日本もそうだったのかも知れない。

目的の下車駅ガヤまで458km、2等車学割で10ルピー(400)、所要時間は8時間。インドの鉄道時間はあてにならない。時々停車し、長い時間待たされた。途中の駅で「人」の字のように列車が積み上がった事故現場を通った。大勢の人が乗った列車と貨物車が衝突し、数百人死んだらしい。

 3時間遅れ、夜のガヤに着くとバスもタクシーもいない。仕方がなくボーとしているとチリン、チリンと鐘の音が聞こえ、馬車が現れた。ぶら下っている小さなオイルランプは前方を照らすのではなく、走ってくる自動車がぶつからないためだと、年寄りの御者(馬車の車主)はたぶん言っている。ブッダガヤまで、街灯のない道を1時間ほど馬車はゆっくりと進んだ。途中で自動車とは出会わなかった。屋根のない馬車の荷台に積んだリュックサックを背に空を見上げると、満天の星が輝いていた。ランプを足下に着けているもう一つの理由だ。夜空の静寂の中、ブッダガヤの村に着いた。

 その夜は、チベッタンテント脇にある安宿に泊まった。寝具なしベッドが50パイサ(20円)だった。翌日からは、一泊75パイサ(約30円)で泊まれる外国人専用のツーリストバンガローに5泊した。














(kondo)

*次の記事はこちら↓

*前の記事はこちら↓


応援のクリック、ありがとうございます!

にほんブログ村 旅行ブログへ

にほんブログ村 旅行ブログ インド旅行へ

にほんブログ村 美術ブログ 画家・女流画家へ

コメント

このブログの人気の投稿

はじめに

「インドの人々と何者でもない自分」/インド・カルカッタ(2日目)

「旅の始まり」/インド・カルカッタ(1日目)