解説コラム② / 仏教徒の聖地・ブッダガヤと菩提樹の謎

1975年 3月4日~10日 /ブッダガヤ


水をくむ少女


馬車と現地で知り合った日本人の旅人


インド米の水田(乾期)


ダンゲシュワリ洞窟マハカラ洞窟、前正覚山

出家したシッダールタ(後のブッダ)は6年間、ダンゲシュワリ洞窟で修行をした。しかし、悟りを得ることは出来ず山を降り、ウルヴェーラー村(ブッダガヤ)の菩提樹の下で深い瞑想に入った。


マンゴー森 / 現地の人は美しい森だと言う


洞窟を登る旅人たち


現地の男性 / 洞窟の麓にて


煙草を吸う少女


マハ―ボディ寺院

ブッダが悟りを得た菩提樹があるマハ―ボディ寺院。現在はきれいに舗装されているが、1975年の当時、寺院の周りには何もなかった。


タイ寺院
 
ブッダガヤは仏教徒にとって聖地であることから、国際的な信仰の場になっている。各国の仏教寺院が建てられ、日本寺もある。


印度山日本寺


村の子どもたち



(写真:kondo / 文:O) 


「ブッダガヤに無かった菩提樹の謎」


近藤氏は、岩山の洞窟(ダンゲシュワリ洞窟)に菩提樹が無かったと回想しているが、実際は、マハ―ボディ寺院(大菩提寺)の裏側にブッダの菩提樹はあるようだ。

近藤氏に当時の様子を詳しく思い出してもらうと、(寺院の周りに)ガジュマルの樹はあったけど…、とのこと。ガジュマルの樹はきちんと台に囲われていて、その上で瞑想をしている老人たちを見かけたという。

そこで改めて調べたところ、菩提樹には「インド菩提樹」と「ベンガル菩提樹」があり、ベンガル菩提樹は別名「ガジュマル」と呼ぶようだ。このあたりから、色々な説が交差してくる。

そもそも、ブッダが悟りを得たとされるインド菩提樹は、5世紀ごろに起こった仏教弾圧の際に切り倒され、その後、挿し木で育てられていたものがブッダガヤの菩提寺に移植されたと言われている。

一方で、ガジュマルの樹(ベンガル菩提樹)を仏陀の木と呼ぶ地域もあるらしく、なぜ、そのように呼ばれるようになったのかについては、本当の菩提樹の木が切られないようにするため、ガジュマルを仏陀の木と呼んでカモフラージュしたとの説がある。

だとしたら、ここからは妄想レベルの推測であるが、本物の菩提樹を守るために寺院の敷地一帯にガジュマルの樹が植えられたのかもしれない。ある意味、その思惑通り、近藤青年も、菩提樹を見つけられなかった。あるいは、ガジュマルの樹も大切な仏陀由来の木として、当時、大切に扱われていた可能性も考えられる。なんだか謎解きのような歴史のロマンを感じてしまった。

今の菩提樹は、立派な柵と飾り付けがされており、もう訪問者が見落とすようなことはないだろう。


この旅の数十年後、近藤氏はブッタガヤをモチーフに一枚の画を描いている。苦行により衰弱していたブッダに、乳粥を供養している女性の画である。この供養によりブッダは命を救われ、菩提樹の下で瞑想に入ることが出来たと言われる。


(文:O)



マハ―ボディ寺院の大塔


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