「サドゥーに会う」/ インド・ラジギール
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1975年3月10日
早朝からバス乗り場でラジギール行きのバスを待ったが来なかった。よくあるらしい。別のバスでガヤに行き、そこから乗り換えることにした。
3時間半遅れてようやくブッダガヤの村を出発。途中ドライバーがバス停でない場所で車を止め、汚れた布を纏った老人を乗せた。その人は車内の通路の床に片膝を立てて座った。乗客たちは乞食を乗せたことに抗議しているようだ。僕は乞食のような仙人のようなその人にすごく魅かれ写生をしたかった。しかし、この人に英語が通じるとは思えない。傍の人に通訳できるか尋ねたが、即断わられた。
誰かが僕らの話しを聞いていたらしく、「ミスタール!」と、僕を呼ぶインド訛りの英語が後ろから聞こえた。後にいた人は、地元の言葉(たぶんベンガル語)で乞食仙人に話しかけてくれたが、まったく反応がない。後ろの人は話すのを諦め「ドゥイット!」、「写生をしちゃえ」と僕に促した。僕は乞食仙人が怒ったり気を悪くしたりしないか心配だったが、後ろの人は「こいつは壊れてる」とサラッと言った。
僕は近づきスケッチブックを取り出した。すると乞食仙人は腰につけていた小さな真鍮の鉢を出し前に置いた。金を入れろということかと思い、財布を出して中を確かめた。5ルピー札1枚とコイン数枚しか入っていない。この状況で乞食仙人にお釣りを下さいとは言えない。思い切って5ルピー札をその鉢に入れた。ブッダガヤでの一週間分の宿代と同じ5ルピー。無理やり写生をさせてもらったお礼だから仕方がない。
走るバスの中で写生を始めると次々に乗客がきて、僕が描いているスケッチブックを覗き込み、鉢にお金を入れて行く。乞食仙人は目がほとんど見えていないのか、一言も言わず、街に着く前にバスを降りていった。「誰だ、この人は?」と思っている僕の気持ちが伝わったのか、ドライバーが、「サドゥー」と言った。フムフム、「サトウさん」ならぬ「サドゥーさん」か、と思っていたら、「サドゥーは彼の名前じゃない、旅の行者です」と後ろの通訳してくれた人が説明した。サドゥーの意味はよくわからなかったが、彼の旅は楽じゃなさそうだ。
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スケッチブック |
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ガヤで11時発のラジギール行きのバスを待つが、午後2時になってもこない。やっぱり、インドだなあとバスを諦め、結局、乗り合いタクシーに乗る。 料金交渉をして、7ルピーになった。バスなら5ルピーだ。3人乗って、出発と思ったら、ドライバーは車を動かそうとしない。理由を聞いても応えない。その内にじわじわと客が増え40分後に12人になった。
結局、ドライバーと助手、合わせて14人がギュウギュウ詰めで出発。荷物は満載のキャリアーに積んだ。僕が乗ったアンバサダーは有名なインドの国産車で、トヨタ・クラウンのようでタクシーに多い。20人以上も乗れるとドライバーは自慢したが、詰め込まれる人間のことはまったく気にしていない。2時間でラジギールに到着。
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Vishwa Shanti Stupa (世界平和塔) |
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少年と街中の牛 |
街外れにあるツーリストバンガローは、周りが水田になっていて夜は蛍が群生する。星空と繋がって、蛍たちにライトアップされた建物が宇宙に浮かんでいるようだった。釈迦も玄奘三蔵(三蔵法師)もこの宇宙を見たはずだ。
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ツーリストバンガロー |
あのサドゥーの左目は白濁していたので、左側をあまり見つめないように写生をした。右側の目の瞳の奥深くは、遥かに宇宙が広がっているように見えた。
ナーランダへ後少し。
(kondo)
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仏像(Vishwa Shanti Stupa) |
(補足:O)
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