はじめに
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"美術家・近藤幸夫"とは
近藤幸夫氏は、1953年生まれ・新潟市出身の日本画家です。略歴につきましては、こちらのHPをご覧ください。
私は近藤氏を「センセイ」と呼んでいます。先生は、画家であると同時に、東京都・国立市にある「中本達也・臼井都記念 芸術資源館」の館長でもあり、絵画教室の先生でもあります。みなさん「先生」と呼んでいるので私も自然とそうなりました。でも、実のところ、 "行動力あふれる人生の師匠” という意味も密かに込めています。
先生は芸術家で探求者です。普通だったら目を逸らしてしまいそうなことを、ずっと考え行動し、表現して来た人です。話を聞いていると、世界各地に仲間や友人がいて、地球ってこんなに小さかったけ?という気持ちになります。私としては、言語をどうしているのかが最も不思議です。でも先生にしてみれば、そんなこと関係ないようです。
そして、先生は威張りません。いつだって、子どもとも大人とも同じ目線で生きてるって感じです。人というものを信頼しているのかもしれません。ユーモアを持って分け隔てなく誠実に接しています。
ということで、私は喜んで旅のお供をするつもりです。みなさんもぜひ、お付き合い頂けたら嬉しいです。
できるだけ若い世代の方にも伝わる様に、深掘り解説コーナーも作る予定です。なんせ50年も前のことですので、知らないことばかりです。でも、どの旅路も、今につながっています。近藤青年が、現場で体験した"波乱万丈"の出来事をぜひ一緒にたどってみませんか?
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ユーラシア大陸の旅の記録・3部作。
このブログでは、3つの旅を順を追って少しづつ振り返っていきます。
主に、
▪️1975年/1978年 *美大生・院生
インド・西南アジア 研究取材の旅
▪️2012年〜 *日本画家・哲学博士
ロシア 巡回展の旅
番外編として、
▪️1980年~83年 *美大卒業後、渡米
ニューヨーク大学 留学
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なぜ、"今"、かつての旅を書き記すのか。
きっかけは、ロシアのウクライナ侵攻だったと、先生は言います。
ロシアには美術を通して知り合った仲間や友人達が多く住んでいます。彼らとは大切な時間を共に過ごし、いつでもまた会えると信じていました。しかし、状況は一変します。
ロシア人に対して、悪いイメージがある人も多いかもしれません。でも、先生が知る彼らは、大らかで親しみがあり温かな心を持った人々でした。
ロシアにはもう行くことが出来ないかもしれない。友人の中には、亡命せざるを得ない人も出てきました。ロシアだけではなく、今の世界情勢では、もう会うことが叶わないかもしれない人達もいます。世界が消えていくような感覚に襲われました。
その後、イスラエル軍によるガザへの攻撃も始まります。未来が見えづらい今、私たち大人は何が出来るだろうか。子どもたちに希望のバトンを渡すにはどうしたらいいのか。
そんな時、かつての旅を思い出します。ここで経験したこと感じたことが、全ての基になっているのではないか。そこで、旅の記録を書き起こし、発信することを決めたのです。
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手がかりは、日記・写真・スケッチ 。
このブログは、当時つけていた日記やスケッチ、写真を参考に記しています。今の先生ではなく、何者でもない若者が、未熟にも驚きながら体験していく様子が伝わると良いなと思います。
この頃、世界中にヒッピーがいました。先生はヒッピーではなく、ツアー客でもなく、バックパッカーですが、「それぞれの立場によって体験する世界が違ってくる」ところが見どころだと私は思っています。また、ニュースなどの報道と現場(現地)とはギャップがあるということも知って欲しいことのひとつです。
旅の初めは、インドのカルカッタ(コルカタ)です。人がひしめく大都市で、いきなり強烈な体験をします。
(O)
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