「世界最古の大学で夢想する」/ インド・ナーランダ
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1975年3月12日
早朝、部屋の入り口のドアをノックする音で目が覚めた。ドアを開けると、山羊を連れた老人が立っていた。山羊も一緒に2階の部屋まで上ってきたらしい。
いきなり、彼は「カップ、持っていないの?」というようなジェスチャーをした。部屋にあったカップを渡すと、彼は手際よく山羊の乳を搾りカップに注いだ。そして、指3本合わせた右手を、胸から僕の方へゆっくりと向けた。「バクシーシ(お金を下さい)」というジェスチャーだ。
財布からお金を出そうとすると、今度は「いらない」というジェスチャーをする。僕が戸惑うと、「コインを出せ」というジェスチャー。僕はありったけのコインを手の平に乗せて差し出した。彼はその中から一枚だけ選び、首を横に傾けた。「これでOK」というサインだ。それは四角い形の1パイサ(0.4円)だった。
僕は、老人と山羊が帰って行く後ろ姿を窓から眺めながら、優しい不思議な余韻を感じた。
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スケッチブックより ー |
バスと馬車を乗り継いで、午前中にナーランダーへ到着した。
ナーランダーは、5世紀頃から凡そ750年にわたり栄えた世界最古の大学僧院だ。しかし今は、併設されたミュージアムの所蔵品以外、当時を偲ばせるものは何もない。日差しを遮るものもなく、遺跡の大部分は褐色の焼きレンガで作られた壁と床の基礎部分だった。訪れる旅行者もほとんどいないらしい。
かつて玄奘三蔵(西遊記の三蔵法師)が何年もかけ旅してやってきた「天竺」と呼ばれる地に、今僕はいる。
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子どもの頃、天竺は空想の世界か仏教の聖地くらいに思っていた。ナーランダーを知ったのは、旅の計画を立てていた時に見た美術全集だ。正直、写真からは訪れたいと思うような魅力は感じなかった。
でも当時、ここには世界の英知が集結し、数千人もの学生と研究者がいたらしい。だが、1200年頃に大学僧院は滅び、仏教の盛んだった国々も信者も消えてしまった。「ナーランダーってナンナンダー!」と叫びたかったけれどバチがあたりそうで、やめた。
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入館したミュージアムに冷房装置はなかったが、容赦ない日差しでまいった頭と体を冷やすには快適だった。展示されている像を観ているうちに、在りし日のナーランダーを夢想した。
カルカッタ博物館にもすばらしい彫像があったが、想像は広がらなかった。ここに展示してある小さな仏像や神像は、どれも劣化や破壊で痛んでいるものばかりだったが、存在感があった。
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中には釈迦だけでなくヒンドゥーの神々や古代宗教の神々、更にキリストやイスラム教の預言者のモハメッドまでいる。イスラムの唯一神アッラーの姿は目に見えないから代わりにモハメッドの像を置いたのかも知れない。
ナーランダーは仏教だけを学ぶ大学ではなかったようだ。宗教、数学、哲学、芸術、科学、医学、語学など、広い分野の学問を、仏教徒も非仏教徒も共に学び、研究していた。
その後、ナーランダーは、消滅したけれど、その英知は世界へ拡散していった。それは、悠久の時を越え、20世紀の詩人・タゴールやガンジーの思想にも引き継がれている。
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インドに来てからまだ12日しか経っていない。でも、出会った人たちに僕は言い知れぬ魂の存在を感じた。山羊を連れた老人、片目の白いサドゥー、夜馬車の御者、リキシャ引き、双眼鏡を貸してくれた人や路上生活者の人たちも、しっかり会話ができた訳ではないのに自然に心が繋がっていたような気がする。
タゴールが名付けたガンジーの称号「マハトマ」は、「偉大な魂」という意味らしい。名もなき無数の魂が、ガンジーやタゴールを生んだんだな、と彼らを思い出しながら、ボーとした頭で分かったような気がした。
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これまで僕は、混沌とした状況に驚き翻弄され、旅の意味など考えなかった。でも今、シルクロードに散らばる幾つもの魂たちと触れ合えるかも知れないと想像すると、出来るだけ長く出来るだけ遠くまで、旅を続けたいと思った。
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ナーランダーは今もなお、旅人を迎え送り出してくれている。どこかの日本の美術館の所蔵作品に、玄奘三蔵が背負子を担いで旅する姿の絵があったことを思い出した。もしかしたら、玄奘三蔵さんは、当時のバックパッカーかヒッピーだったのかも知れない。
(kondo)
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*ナーランダ(Nalanda)/インド・ビハール州にある広大な面積を持つ仏教大学の遺跡。当時としては最大級の学問の中心地であった。2014年、インドによる国家プロジェクトで、約800年ぶりに大学が再開された。2016年、ユネスコの世界遺産に登録。
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