「彼女はいつも自然をよく見ている」/ネパール・ポカラ
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1975年3月20日~25日 ポカラの日々
「パイショップ&レストラン」
この店と店の人は人気があるらしく、日没が近づくと店に客がたくさん集まってきた。店内は10人くらいしか入らない。「今晩は星がたくさん待っているから、テーブルを外に出そう!」とオーナーらしい店の男が客たちに呼びかけると、みんなで大きなテーブルを前庭に出して適当に座った。
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目の前に広がるヒマラヤの山々が星明りで鮮やかに見える。そこにいるほとんどは、ヒッピーとバックパッカーの欧米の若者たちだった。食事のメニューは少ないけれど、どれも美味しそうだ。店の名前のとおり、パイの種類は多い。村で採れたフルーツのパイやデザートが自慢らしい。飲み物は、紅茶かチューラーというヨーグルトの混ぜ物、または水。アルコールはないのに、なぜかみんな酔っ払っている。僕は頭痛がしてコメカミを揉んでいると、隣に座っていたヒッピー風の女の人が話しかけてきた。
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パイショップから見えたアンナプルナ |
アップルパイには「ハッシッシ」が、チョコレートパイには「ガンチャ」が入っているらしい。ハッシッシは大麻樹脂、ガンチャは覚醒作用の強い植物の樹液を固めたものとのこと。シルクロードでは昔から作られていると言う。ポカラみたいな村では常備薬として、農家の庭で栽培しているそうだ。
彼女は僕の数日の移動状況を聞き、頭痛はハッシッシ入りパイを食べたせいではなく、短期間に高度差のある場所を続けて移動したからではないか、と分析した。僕が納得すると、彼女は持っていた鎮痛薬を僕にくれた。長い旅では、薬は貴重品だ。「薬代を払いたい」と言うと、「私は医者じゃないから」と断られた。そこでもう一度、「ホテルに帰れば日本から持ってきた薬があるから、もらった薬の替わりに渡したい」と言うと、ようやく彼女は承諾した。翌日にまた会うことになった。
「フェワタルレイク」
昨晩はパイと頭痛で彼女の名前も顔もちゃんと覚えていなかったが、待ち合わせたパイショップの店先には他に人がおらず、彼女だと直ぐわかった。その人は凄い美人だった!
「調子どう?」と聞かれて、本当は調子よくなかったのだけれど、調子よく「OK ! 」と言ってしまった。まだ修行が足りなかった。パイショップはやっていなかったので、貸しボートに乗った。男性として僕がオールを握って漕ぐところだが、彼女はサッとボートに乗り漕ぎ始めた。
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驚くほど速く滑らかに、ボートはどんどん岸から離れて行った。広いフェワタルレイクをまるで自分の庭のように操船している。ボートでボーッとしている僕は、彼女が美しいからでなく、スイス製の鎮痛薬がずっと効いていたからで、彼女がスイスイと漕いでいたのは、スイスの湖の傍で育ったからだ。ダジャレ連発みたいだけど本当だ。
村から少し離れたところで彼女は漕ぐのを止め、会話を始めた。「自分はスイスのフランス語圏の出身で英語は得意ではない」と言うのだが、僕の英語力は彼女の足元にもおよばず、ゆっくりと言葉を選び、僕のレべルに合わせてくれているようだった。
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始めに驚いたのは、彼女の年齢だった。はっきりと聞いたわけではないが、僕が「美術大学の3年の終わり頃だ」と言うと、彼女は「たぶん年は同じくらいだ」と応えた。日本と欧米では学年の年度が異なるからだと思った。それにしても、彼女の高い精神年齢や洗練された態度は、僕と5才位かけ離れて見えた。僕は英語力だけでなく全てが劣り、改めてショックを受けた。明治の日本が脱亜入欧に向かった訳が分からなくもない。それはさて置き、西から東へ向かう彼女と、東から西へ向かう僕との旅の情報交換は重要で、話が尽きなかった。その間、彼女に頼まれて彼女を写生した。
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終わりに、僕はどこへ行くべきか尋ねた。ナガールコットのロッジの息子さんの話しが気になっていた。北へのトレッキングか、南の国境か迷っていた。彼女は少し考えてから話し始めた。「ボートを漕ぐ時は、船の先ではなく、風や水の流れ、水面の反射を感じながら遠くを見ると、進むコースが見えてくる」と言った。そしてその後、照れくさそうに微笑んだ。彼女はいつも自然をよく見ている。彼女の名前は『ソフィー』と言った。その後、僕は何度かパイショップに行ったが、ソフィーを見かけることはなかった。
「セティリヴァー/ 亀裂の底の川」
*アンナプルナ /ヒマラヤ山脈に属する山群。「豊穣の女神」の意味。
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