「サンダルとドンノバートゥ」インド・カルカッタ(3日目 )
1975年3月3日
昼間ホテルを出ると路上生活者に囲まれてしまうが、その日の朝は違った。外は静かで空気がひんやりしていた。だが、安堵感は直ぐに消えた。一生忘れられない強い眼差しで道の反対側からあの子が僕を見つめていた。
ホテルの人に相談し傍の病院に連れて行くことになった。そこは病院と言うより小さな診療所で早朝だったこともあるのか中々ドアを開けてくれなかった。しつこく呼ぶと男が出てきて前の道端に置いておけと迷惑そうに言った。僕らに付き添ったホテルの使用人の話では、ゴミ回収車のような車が引き取りに来るらしい。姉の子が憤慨し僕は何を言っているのかわからなかった。仕方なく使用人の男が鉄橋下の火葬場へ行くように僕に言った。
火葬場ではまた値段交渉があるのかと僕は身構えると、火葬場の男は何も言わず白い布を巻き始めた。いくらか聞くと払うのかと驚いた様子で、5ルピーと答えた。男はその金で香と生花の輪飾りを買い、花輪を遺体の上に置いた。そのまま火葬場の脇を流れる川に葬られた。事故や病気で亡くなった人は火葬せず水葬にするらしい。火葬の場合は薪の種類と量で料金が違うという。
姉妹はずっと裸足だった。帰り道一人になった姉の子にサンダルを買った。始めは拒んでいたが受け取ってくれた。
ホテルに戻ると、途中まで付き添ったホテルの使用人の男が路上生活者の子どもの頼みを何で断らなかったのか聞かれた。いつも断る勇気がないので、僕はインドに向いてないと言うと、納得したように「アッチャー」と言った。アッチャーはイエスという意味だが、理解したという意味だと思った。あっちゃーじゃない。
その後、彼はまじめな顔で言った。ベンガル語で「ドンノバートゥ」その意味は深い。
翌日、逃げるように僕はカルカッタを出た。
(kondo)
ドンノバートゥ =ベンガル語で「ありがとう」
普段使うことはほとんどなく、心からの感謝を伝える時に使う言葉。外国人に使うことは珍しく、ベンガル語圏内でも民族・宗教・階級が異なるとやはり使うことはほぼ無いらしい。
(補足:O)
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