「世界最古の大学で夢想する」/ インド・ナーランダ

◇◇◇ 1975年3月12日 ラジギール/出発 → ナーランダ 早朝、部屋の入り口のドアをノックする音で目が覚めた。ドアを開けると、山羊を連れた老人が立っていた。山羊も一緒に 2 階の部屋まで上ってきたらしい。 いきなり、彼は「カップ、持っていないの?」というようなジェスチャーをした。部屋にあったカップを渡すと、彼は手際よく山羊の乳を搾りカップに注いだ。そして、指 3 本合わせた右手を、胸から僕の方へゆっくりと向けた。「バクシーシ(お金を下さい)」というジェスチャーだ。 財布からお金を出そうとすると、今度は「いらない」というジェスチャーをする。僕が戸惑うと、「コインを出せ」というジェスチャー。僕はありったけのコインを手の平に乗せて差し出した。彼はその中から一枚だけ選び、首を横に傾けた。「これで OK 」というサインだ。それは四角い形の1パイサ( 0.4 円)だった。 僕は、老人と山羊が帰って行く後ろ姿を窓から眺めながら、優しい不思議な余韻を感じた。 スケッチブックより ー バスと馬車を乗り継いで、午前中にナーランダーへ到着した。 ナーランダーは、 5 世紀頃から凡そ 750 年にわたり栄えた世界最古の大学僧院だ。しかし今は、併設されたミュージアムの所蔵品以外、当時を偲ばせるものは何もない。日差しを遮るものもなく、遺跡の大部分は褐色の焼きレンガで作られた壁と床の基礎部分だった。訪れる旅行者もほとんどいないらしい。 かつて玄奘三蔵(西遊記の三蔵法師)が何年もかけ旅してやってきた 「 天竺 」 と呼ばれ る 地に、今僕はいる。 子どもの頃、天竺は空想の世界か仏教の聖地くらいに思っていた。 ナーランダーを知ったのは、 旅の計画を立て てい た時 に見た 美術全集 だ 。 正直、 写真 からは 訪れたいと思うような魅力 は感じ なかった 。 でも当時、 ここには世界の英知が集結し、数千人 も の学生と研究者がいたらしい。 だが、 1200 年頃に大学僧院は滅び、仏教の盛んだった国々も信者も消えてしまった。「ナーランダーってナンナンダー!」と叫びたかったけれどバチがあたりそうで 、 やめた。 入館したミュージアムに冷房装置はなかったが、容赦ない日差しでまいった頭と体を冷やすには快適だった。展示されている像を観ているうちに、在...